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「只今の現地到着気温はマイナス17℃となっております」との機内アナウンスが流れ、早朝の虚ろな眼差しで入国審査を終え、空港の外へと出ていった。 1989年12月、僕は南に向かう飛行機のトランジットで、アメリカミネソタ州東部の、ミネアポリス・セントポール国際空港に降り立っていた。勢いよく吐かれる吐息は、3メートルに達する程で、厳寒の域は、日本の比ではなかった。 肌を刺す冷たさから、矢継ぎ早に空港内へと戻り、目的地の中南米ジャマイカへと、想いを馳せた。 僕は世界で一番危険な街、そしてレゲェが鳴り響く、ボブ・マーリイが居た伝説の国へと向かっていたのです。 成田からミネアポリス、そしてマイアミからジャマイカの首都、キングストンへと32時間の長旅で、ノーマン・マレー国際空港に辿り着いたのでした。 深夜の3時に通関を済ませ、空港の外に出るアライバルホールが近づくと、水平の彼方にキラキラと輝く、無数の星が見えた。 近づくに連れ、それは闇夜をバックにした、ジャマイカ人群衆が屯した、人だかりの瞳だと気づき、その殺気立った気迫に、ただ茫然と立ち尽くしていると、セキュリティーらしき人物に、行先のホテル名を聞かれ、直ちに此処を去れと言わんばかりの態度で、乗せられるタクシードライバーに、あれこれと指図し、その車のナンバーを控えながら、僕は其処へと押し込められた。 「 俺はとんでもない所にきてしまった。」と嘆いても、もはや覚悟を決めるしかなかった。 舗装されていない土塊のデコボコ道を、容赦なく突き進む車は、時折映し出す裸電球の外灯が、唯一の救いであるかのように、闇の中のダウンタウンを進んで行った。 ドライバーの男が口走った「Here is a trench town.‼︎」そうか!ここがボブ・マーリイが生まれ育った町か!と耽っていると、流れる景色の窓の外には、猛り吠えながら、猛進して来る野犬と、売春婦らしき女と戯れるギャング。 狂った目で睨みつける、殺人者としか思えないジャンキーが、フラフラと彷徨っていた。 タクシーを降りて、ホテルに着くと、日本語で書かれた、日本大使館からのビラを渡された。 それには一昨日、邦人男性がキングストン市内で暴漢に襲われ、ナイフで刺され、重傷を負ったという記載が成されて、夜間はなるべく外出しないように。との御達しだった。 「こんな所まで日本人が来ていたのか....」 いやいや、それより自分の心配した方が.... と自問自答し...
「....っていうか俺....生きて帰れるのか?」 とも、思いながら、僕はそのままベットに横たわって、眠りについた。 1年前の1988年、ジャマイカは、ハリケーン・ギルバートが直撃し、国民の25%が家屋を失うと云う、大惨事となっていた。 翌朝。晴れやかな陽射しに起こされ、昨晩の悪夢が嘘のような一刻日和、ホテルのテラスで朝食をとる僕がいた。 ブルーマウンテンコーヒーの優雅な香りに魅了され、ボブマーリーミュージアムや、ロッカーズインターナショナルなどの主要な場所を訪れて、夜間はなるべくホテル周辺のバーで過ごし、数日後、僕は国内線でモンテゴ・ベイへと向かった。 一難去ってまた一難。眼前のエアー・コミューターは、継ぎ接ぎだらけの両翼と、赤錆に覆われた機体を備え、どこだかオイル漏れがしていないか?と心配になるようなボロボロの飛行機で...。 乗客の中には、十字を切って祈っている。その仕草をする人もチラホラと見え、神に祈りを捧げる気持ちが良く分かった。 唸りを上げ離陸するプロペラ機は、むかし悪天候時に搭乗した、広島から鹿児島間のYS11を思い出したが、その揺れどころの騒ぎではなかった。 度々ドスン、ドスンと、滑り落ちるようなエアーポケットに捉りながら、そのブルブルと震える翼を目にしていると、眼下に広がるエメラルドブルーの海が見えてきた。 真っ白い砂浜に、マリンブルーから、エメラルドグリーンへとサンバーストしたカリブの海は、コバルトブルーの鮮やかな空が浮かび、白い積雲に彩られ、絶海の楽園を物語る。そしてその海岸線沿いに目を移すと、無数のバラックが建ち並び、その家々から立ち昇る煙が、未だ消えやらぬ、ハリケーンの傷跡を、語りかけているようだった。
by artedesign
| 2016-11-14 18:05
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